有効利用の呪い 伊藤

私たちの道路に対する発想力の現状は、生まれた時から見ている殺伐とした道路のせいで死滅状態な気がする。豊かなスペースを考えようとすると、じゃあ何かをするための、と有用性合理性生産性に流れていってしまう。豊かさや生活それから家族という共同体を、生産性の物差しで測るのは何か間違っている。生産性だけが重要なら、働けなくなった年寄りは姥捨山に捨てられてしまう。人間には他にも重要なものがあって、これらは生産性の観点では全く無意味で隙間のようなもの、この隙間が重要ということになる。豊かな道路を考える上でも、とりあえずスペースがあれば良いのかも。どう使えるかは近所の人が毎日通る中で自然と見つかるような。ストリートでスケボーを楽しんでいる人たちは、道路や駐車場やその他色々を、ここでスケボーやってみたらどんな風に楽しめるのかアスレチック目線で多分見ていて、いい場所を見つけたらこっそりスケボーしてみて、いい感じだったら友達も呼んでみたりして、でも集まりすぎて目立つようになってしまうと警察に通報されるから程々にしといてみたりして。そういう目線でいろんな場所を見ることができれば、単なる空き地やちょっとした起伏が遊び場になる。道路に対する豊かな発想力のヒントはこういうところにもありそう。