昔は良かった 伊藤
日本人独特の横感覚が商店街を成立させているかもしれない、とするとこの横感覚はどんなものなのか、どっぷり日本人をやっている自分にとっては当たり前に感じていることそのものなはずで、それを改めてこうだ、と意識するのは難しいのかもしれない。と同時に、ちょうど今身の周りから消えていっているもので、あれあれ?何だか生きづらい、と感じる部分そのものの事のような気もする。例えば、昔は良かった、の一言から想起するようないろんなこと。社会は都度都度に問題を改善して以前より良い状態へと常に変化している、という視点から見ると「昔は良かった」はノスタルジック趣味に取り憑かれて考えることを止めてしまった人、になる。逆に、社会は上手い事チョロまかそうとする人によって、その他多くの人がなし崩し的に不利な状況へゆっくり誘い込まれている、という視点から見ると「昔は良かった」はまだそこまで理不尽で不利な状況が進行していなかった良い時代が以前にはあったということになる。この視点は陰謀論的で健全でない気もするが、ちょうど子供が読むかと思って買ったミヒャエル・エンデの「モモ」と同じような視点でもあり、そうなると逆に児童文学として推奨されるぐらいの健全性が感じられもする。子供にはこういう価値観を持っていて欲しい、という大人側の押し付けとも感じられるけど、子供を管理対象ではなく対等な存在として尊重する感覚がこの本にはあるので、やっぱり健全な方とも考えられる。




