お金最終回 伊藤
しばらくお金や経済について考えてきた。日常生活の色々が商品や有料サービスになってしまう前、というといつぐらいの時代か。あんなものやこんなものまでお金で買う時代になったんだね、って言いながらだんだんそれに慣れ、繰り返されるうち、普通と思っている日常生活にかかる額面は相当に大きくなってるんじゃないかと思う。古事記で次々に神々が生まれるが如く、生活での一挙一動にお金がかかる。一昔前の主要品目の物価で一般的な生活のランニングコストを弾いたところで、現在は主要品目のラインナップ自体が実はずっと増えていて、アップデートされない品目だけで物価を測っていては実態と乖離しているような。同時に大量生産の効率化が進んでローコストな選択肢が増えた分、贅沢なものを選ばなければランニングコストが下げられる傾向も進んでいる。両方の状況が合わさると、ひたすらローコストな商品を選ぶことで何とか生活が維持できるというイメージ。
お金が無ければ生存権が危ぶまれる。経済は命に直結する。1にも経済2にも経済と総理大臣が発言する。私たちの生活のもっとも大事な部分は政治よりも経済だと言って、違和感は感じない。経済はいつの間にかそういう位置付けだけど、私たちは経済をそういう存在にしようと合意したのはいつだった?そもそも合意したんだったっけ?