価値を見える化したもの 伊藤
お金は価値を見える化したもの、だと思います。海の人と山の人が物々交換を円滑に行うために価値の共通単位として生まれてきたのがお金、と歴史の授業か何かで教わった記憶があります。海の塩に対して、その2倍の重さの胡桃が等価、というような物々交換では物:物のレートがその組み合わせの数だけ必要になってしまってわかりにくい。物に一つ一つに価値を表す数値を設定して物々交換の際はその数値からレートを導く、割り切れない分は気にしない、ぐらいであればまだお金無しで物々交換できそうです。きっちり等価で交換したいというニーズを満たすために、価値の数値を見える化した媒体を間に挟む必要がある。となるとお金が生まれる必然がわかる気がします。私が価値のある物を持っていてそれを欲しいという誰かへ譲る時、対価としてお金が支払われる。等価に交換される様子は、エネルギー保存の法則みたいでもあります。社会全体の価値・富の総量はある瞬間においていは一定である、という雰囲気。ではお金は最初どうやって生まれて、次に誰の手にどうやって渡るのでしょうか?お金が金(ゴールド)であれば、希少なゴールドを産出する手間が伴うのでお金は生まれた瞬間から価値を帯びることができます。そのお金で何かを買うとき、ちゃんと価値の等価交換が行われます。では、紙幣の場合どうなるのでしょうか?大量に印刷できる紙幣は、希少ではないので生まれた瞬間に価値を帯びることが不可能です。その生まれたばかりの紙幣で物が買えてしまったら、詐欺みたいなことになってしまいます。