飛鳥時代には 伊藤

国土交通省のホームページに「道の歴史」というコーナーがある。学校で習う歴史で道が出てくるのは、江戸時代に五街道ができた、ぐらいで他に道の話が出てきた記憶が無い。五街道の代表は京都と江戸を結ぶ東海道だけど、「道の歴史」によると、7世紀後半には東海道は作られていて、道幅は12メートルもあったらしい。今の道路が1車線当たり3メートル程度だそうだから、片側2車線の4車線ある道路と同等の幅。645年大化の改新、701年大宝律令、710年平城京、遷都するまで都は奈良の飛鳥時代。この頃の乗り物というと、輿(こし)と牛車があったみたい。牛車というと平安貴族のみやびな乗り物のイメージだけど、まだその100年ぐらい前のことになる。12メートルの道幅が必要な理由が無さそうで、8世紀以降は6〜9メートルと小さくなっていくそうで、やっぱりオーバースペックだったということか。「道の歴史」にも、説として朝廷の権力を内外に誇示する目的とある。