債券 伊藤

現金は国の会計上で政府の負債として扱われる、というのを本で読んだことがある。正当な価値と交換が可能だと国に約束された債券、というふうも考えられる。ちゃんと約束が守られる状況であれば、お金を価値そのものとみなす事も可能である。そんな約束が成立しないような極限状況ではどうなるか。例えば今のガザみたいな状況下に自分が置かれたとして、五千円札かお米10kgどちらかが貰えるという2択があった場合、間違いなくお米を貰う。お米には食糧という意味の確かな価値があるが、五千円札の価値は社会の約束が機能する前提が必要になる。前提が崩れてしまった状況では、五千円札はただの紙切れだ。約束で価値が保証されたとして、濃度はどうなるのか。一円の中に入ってる価値の濃度。カルピスでいうと、社会で生み出された価値が原液、発行された通貨が水、濃いめか薄いめかがこうやって決まるイメージで良いのか?第一次世界大戦後の敗戦国ドイツは、周りの国に支払う多額の賠償金を約束させられていて、その額面を満たすためマルクを大量に発行したそうだ。言い換えるなら、100万円が必要なら1万円を100枚印刷すれば良い、製作費はしれている、という感じ。国内で生産される本当の価値に対して、圧倒的に過剰なお金が発行される状況になり、お金の価値がどんどんシャビシャビになり、パン1個を札束で買うようなインフレが起きたそうだ。透明に近いカルピス。