公事方御定書 伊藤
奈良平安時時代で一般人の生活と道路がどんな関係だったか、やっぱり情報が無い。江戸時代ぐらいだと色々見つかりそうで、まず目を引くのが、大八車で死亡事故を起こしたら死刑、というもの。江戸の人口密度は今の東京の9倍だそうで、ちょっと想像できないぐらいの人の多さ。移動手段は、武士は特権階級らしく馬や駕籠(かご)にのり、庶民は基本徒歩。物流のメインは船だけど、陸送の手段としては大八車が人でごった返した道路を走っていたそうで、交通事故は深刻な社会問だったそう。大八車は木製のリヤカーみたいな物だけど、重量物を乗せて、前で引くのが一人、後ろから押すのが2・3人が定番だそうで、まあまあなスピードで走りかつ急には止まれないのが想像できる。あまりにも事故が多いので、厳罰化していき、ついには死刑ということみたい。左側通行というルールも江戸時代にはあったみたい。交通ルールがわかると、当時の道路の使われ方や生活の中での位置付けが見えてきそうな気がする。