楽しいかどうか基準 伊藤
隙間的な存在の重要性には気づくのが難しい。そこに価値が無いと思うならまだマシで、存在自体を感じてない場合、無価値だと思うことすら無い。意識にすら上がって来ない。詰めるべき隙間をを良かれと思って詰めきって、とても窮屈になったと感じても、なんでこんなに苦しいのか理由が分からない。意識に引っかかってこないような場所で豊かさが着実に削られていっているのを道路に感じるのだけど、お金や経済について考えた時にも、生活の色々が有料サービスに置き換わっていくことに合意したつもりはないのにその波に乗せられている感覚があって、それと一緒だと感じる。削っちゃう前に気づくべきだったけど、もう遅いかもしれないけど、無くしたら窮屈になった=そこに価値があった、と気づきたい。ちょっと取り戻すことができたら、それをじっくり楽しんでみたい。そこにやっぱり価値があったと再認識してみたい。道路も経済も、分かりやすい合理性だけでなく楽しいかどうかという価値を真面目に設定するべきだ。