誰用か 伊藤

道を楽しみつくしたい、と思ったとき、楽しむ主体はどういったグループなのか。よそから来た人がそこの道を楽しむのは、例えば僕が本物のボンエルフを見たいといってオランダに旅行に行ったとして、そこでくつろいだり楽しんだりするのは、遠路はるばるディズニーランドに遊びに行くのと大して変わらないのじゃないか。ディズニーランドでは、チケットを買った僕は客としての振る舞いを許されるけれど、オランダのボンエルフでは僕はよそから来た人として節度ある振る舞いをするべきだ。そこではミッキーに抱きつくような事をするべきではない。道を楽しむのは、まず一番にその道の周りに住む人たちであり、そこが通過点や旅行先である人は、その次の優先度だと思う。よその人が楽しむべき道は、その人の地元の道である。近所の人が道で立ち話したり子供が遊ぶ、生活道路ではこれが優先されて良いではないか、誰かの通過点として走りやすい道であることを、そんなに優先するべきではない。昔の東海道のような幹線道路ではなく、生活道路においては。生活道路という括りを設けて、それが設定された道路は近所の人が好き勝手して良い、通り抜ける人は気をつけ、遠慮しながら通るように、ぐらいのルールづくりがあったら良いのに。